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2008年2月

2008年2月26日 (火)

Maria(偉人編)

今回は、オリジナルのRepeat(反復)型セットフレーズとして、20世紀の音楽史に残る2人のMariaにフォーカスしてみました。いろんな意味で彼女達を超える「マリア」さんはちょっと思いつきません。

$callous Callas 冷淡なカラス *発音[kae'lэs] が同一
 世紀の歌姫(divaマリア・カラスMaria Callas, 1923-1977)。孤高の天才ソプラノ歌手は、誰よりも自分に厳しく、冷淡だったのかもしれません、ということで。出だしのスペルもcall- まで一緒(さすがに同じスペルでは名前として変)。今年(2008年)は没後30周年ということで、映画「マリア・カラス 最後の恋」も上映中です。

$alma mater of Alma Mahler アルマ・マーラーの母校/校歌
 作曲家グスタフ・マーラーの妻として知られるアルマ・マーラー(正式にはAlma Maria Mahler, 1879-1964)。彼女を教養と芸術の才に(そして男性遍歴にも?)秀でた女性へと育てた母校(たぶん名門校でしょう)、そしてアルマ自身もまた作曲家であり母校の校歌もついでに作曲、という流れで。ちなみに、ラテン語でalmaは「養育する」、「mater」は母の意味でした。

なお、カラスは完全な同音意義語(homonym)ですが、アルマ・マーラーの方は、ほぼ同音意義語(hobonym←私の造語・笑)です。

<追加情報>
Mariaの発音について:[mərí:ə]のように第2音節がアクセント、に注意ですね。
最近、「やさビジ」の録音で、杉田先生がアシスタントのMaria del Vecchio さんに“Now, Maria...”と呼びかけている発音を聞いてはっとしました。Mariaの発音と歌曲との関係は こちら。なお、Marie も同様に第2音節がアクセント(Maryとの違いに注意)。

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2008年2月17日 (日)

1文字違いの単語

今日は「東京マラソン」が行われました。選手の皆様、そしてボランティア支援、関係者の皆様、準備から今日までの間、本当にお疲れ様でした。私はテレビで応援していただけですが、あんなに大きな声援の中で、いつか走ってみたいという憧れを抱きました。

さて、以前、1文字違いの単語として、bovine(&ovine)を紹介しましたが、今回は1文字を入れ替えただけの単語の組み合わせに限定してまとめてみました。

Anglophobia(英国嫌い)&angrophobia(立腹恐怖症)
 「l」と「r」の違いだけ、というパターンは実に多いです。前者は英国や英国の文化に強く嫌悪感をもつこと、後者は怒り(自分が怒ることも含めて)に対してトラウマがある、ということでしょうか。いずれもThe Phobia Listに載っていました。なお、後者の「angry」と「phobia」の連結に「o」が使われる(yは欠落)のは英語の複合語形成では一般的だそうです。
 ex. blog+o+sphere=blogosphere(ブログ界)
これは、例えばドイツ語における「s」や「n」と同じ感覚でしょうか。
 ex. Bunde+s+Republik=Bundesrepublik(連邦共和国)
なお、ドイツ語の場合、接着文字として「s」と「n」のどちらを使うかは言い易さなどで決まるためはっきりした規則はないそうです(NHKラジオ・ドイツ語アンコール08上期)。

ingenuous(純真な・率直な)&ingenious(巧みな・独創的な)
 前者は、その中にgenuine(本物の/誠実な) が見えれば何とかなるかもしれません。後者は、「in」を否定と考えて「genius(天才)ではない」とすると逆の意味になってしまう偽否定(false negative)なので要注意ですね。このin のニュアンスは「天賦の才を内にもつ」ということのようです。さらに名詞形はそれぞれ、ingenuousness(率直さ・無邪気さ)、ingenuity(発明の才/巧妙な装置)となるのでかなりややこしいです。

allusion(言及・ほのめかし)&illusion(幻覚)
 両者は全く異なる単語ということで、allusion に出会ったとき、illusion に見えてしまうのは文字通りillusion(笑)。allusion はmetaphor(隠喩)のややくだけた言い方で、その意味での反対語はsimile(直喩)ですね。

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2008年2月16日 (土)

Brahms vs Werther

今回は、最近気になった曲のご紹介です。

Brahms, Piano Quartet in C minor, Op. 60, (1855-1875)
ブラームス ピアノ四重奏曲第3番ハ短調 作品60

まず驚くのが、この作品の着想から完成までが20年余りという長さ(彼の交響曲第1番とほぼ同じ)。とくに第1楽章の独特の暗さについては、PHILIPSから出ているDUOシリーズのCD(Brahms Complete Piano Quartets, 1996年)に以下のような解説があります。

Brahms began the C minor quartet during the agonizing weeks of Schumann's insanity and final illness, when his own emotions were in turmoil.  To his friend Theodor Billroth he declared that the first movement was only a curiosity, "say, an illustration to the last chapter of the man in the blue jacket and yellow waistcoat." The allusion is to Goethe's Werther, who kills himself out of hopeless love for his best friend's wife.  Clara Schumann herself, unaware of this reference, found the movement lacking in drive; and it is true that the sense of despair and vehemence do not suffice to produce a structure as effective as in the other quartets.

<訳>
ブラームスは何週間にもわたるシューマン(ブラームスの師)の精神異常と死の病の苦しみの中、この四重奏曲ハ短調の作曲を始めたが、この時彼自身の感情も混乱状態にあった。友達のテオドール・ビルロートには、この曲の第一楽章は興味本位であり、「ほら、あの青いジャケットと黄色いチョッキを着た男の最終章を表したもの」だと言明している。この言及は、最良の友の妻への絶望的な愛のために自殺するゲーテのウェルテルのことを指したものである。クララ・シューマン(シューマン夫人)自身はその引用には気づいていなかったが、この楽章に活力がないことは感じていた。事実、その絶望熱情の感覚は彼の他の四重奏曲に見られるような効果的な構造の創出に十分ではない。


ヨハネス・ブラームスのクララへの愛情(注1)はシューマンの死(1856年)を機に突然変化したようです。つまり、ブラームスは(自身も言及している)ウェルテル症候群から立ち直りを見せ、心に重荷(注2)を一生背負いつつも、以後のクララとの友情関係からいくつもの名曲を世に送り出していくのです。ウェルテルと決別したばかりの青年ヨハネスはクララにあててこう書き送っています。

「激情は人間のものではなく、自然界のものです。激情が節度を越えた人間は病人と見なされ、生命と健康を守る薬を与えられるわけです。立派な真の人間は、喜びにあっても、苦しみや悩みにあっても平静なのです。激情はいずれ過ぎ去ってしまうものなのですし、さもなくば追い払ってしまわなければなりません。」(1857年10月)

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注1:同じCD解説書の別の箇所では、romantic devotion(恋愛感情を帯びた献身)、unerfüllten Liebe(かなわぬ愛)とも表現されている。二人が交わしていた書簡から、シューマンの生前にブラームスが「一時的に」クララへの恋愛感情を持っていたことは事実のようである。

注2:ブラームスは生涯独身を通した。クララとの往復書簡は実に800通を超える。しかし、未完成作品の楽譜を後世に残さないよう全て廃棄処分するほど極端な完璧主義者であった彼の性格を考えると、彼とクララとの本当の関係を示す証拠(書簡等)は処分してしまっていたのかもしれない。

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2008年2月 3日 (日)

ネヴィル・マリナー

先日、ネヴィル・マリナー(Neville Marriner, English conductor, 1924-)のインタビュー(N響アワー)を見ました。御年83歳とは思えない、流れるようなBritish English が炸裂してました。

What he talked to me about Brahms was sort of firsthand news from the composer.
 彼がブラームスについて私に語ったことは、言ってみれば作曲者(=ブラームス)直伝の情報だったのです。

ここで彼というのはマリナーの師・ピエール・モントゥー(Pierre Monteux, French conductor, 1875-1964)のことで、モントゥーはブラームス(ピアノ)と室内楽で共演したことがあるという関係。年代を考えるとおそらくモントゥーが20歳前の話と思われます。「firsthand」は単語としては「secondhand」より後で覚えました(笑)。余談ですが、マリナーは「sort of」を多用する傾向があるようです。

今回の来日でマリナーが指揮したのはブラームス交響曲第4番(N響とは28年ぶりの競演)。彼はブラームスの交響曲全般(全4曲)についてこう述べています。

I think, first of all, as a string player, you're very much drawn to the opportunities that Brahms gives you as an instrumentalist.
 まず第一に私が弦楽器奏者として思うことは、ブラームスが(作曲家としてではなく)演奏家として与えてくれる(演奏の)機会にとても強く惹かれるということです。

マリナーはもともとヴァイオリン奏者。「appealing to string players」という表現も使っていました。この辺りはN響主席ビオラ奏者(viólist, ただしマリナーはvióla playerと表現)の佐々木さんも同意見で、ブラームスは弦楽器奏者を強く意識して交響曲を書いていた(とくにビオラには特別こだわりがあった?)ようです。これは私がブラームスが好きな理由の1つ、なのかもしれません。

ブラームスの曲といえば、最近ではドラマ「のだめカンタービレ・ヨーロッパ編」の千秋君がブラ1(ブラームス交響曲第1番)でプロデビューしたり、N響司会の池辺さんがブラームス好き?なおかげで、わりとテレビでも流れています。そういえば、ある輸入CDの解説を読んでいたら、Brahmsian (ブラームス崇拝者?)いう表現が出てきました。よく耳にするWagnerian(ワーグナー崇拝者)に対比させた言い方にも思えます。一方、リスト(Liszt)の場合、Lisztian は「リストの」(形容詞)で、Lisztomania (熱狂的なリスト崇拝者)という単語があります。ふと、TV番組の「あしたまにあーな」もこの造語法と同じ?・・・とか思いました。

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