« 高松宮杯 | トップページ | ビジ英・10月号の復習その3 »

2006年10月30日 (月)

生物観

 学生の頃に読んだR.ドーキンスの「利己的な遺伝子(The Selfish Gene)」は衝撃的だった。人間をはじめとする生き物は利己的な遺伝子の「乗り物」(vehicle)に過ぎず、その利己的な遺伝子が次々と世代を乗り換えて存続し続けるといった仮説は極論ではあると思うが、実際に人間は他の生物より(少しだけ)知能が高いというだけで、本質は恐ろしく単純で非常に利己的であることに気づかされることがしばしばある。現在、先進国では少子化(declining birthrate)が進んでいるが、これは人間をとりまく複雑な社会環境が、遺伝子にストレスを与えている影響であり生物学的には異常事態である。それとも、それも増殖抑制の1つの形としての必然なのだろうか?いずれにしても、そういった異常な「ひずみ」が自殺や犯罪を引き起こす確率を引き上げている可能性は否定できない。
 一方、地球上の生物の構成要素のほとんどのアミノ酸がなぜL型なのか、ということも生物の起源や進化に関連して興味深い問題である。硤合先生(東理大)の不斉自己触媒の研究に代表されるような、生成物自身が自己を生成する不斉自己触媒となり自己増殖しながらその不斉を著しく増幅させ、ほぼ一方のみの光学異性体に至る過程は、生物の起源と進化についての最もシンプルなモデルの1つのようにも思える。生物の起源はたぶんちょっとした偶然のゆらぎであり、進化とはそれが必然の要求や摂理によって誘導される壮大で複雑なストーリーである。自己の存在意義さえ一生をかけて考えるような一個人が一晩で解ける問題では決してない。そのため、弱い存在であると自己認識したヒトは生きるための防衛手段として教義や宗教といった仮説にすがるのだろう。しかし、分子生物学(molecular biology)を始めとしてさまざまな学際的アプローチ(interdisciplinary(注) approach)が少しずつ生物の神秘のベール(aura of mystery)をはがし(strip) つつあることは事実であり、現代を生きる人間のスタンスとしては、仮説と事実の間でうまくバランスを保ち、建設的に1日1日を過ごすことが大切であると考えている。

注:inter(~の間の)+disciplinary(研究領域の) で「研究領域と別の研究領域の間の」→「学際領域の」となる。元の名詞=discipline は「しつけ」が真っ先に思い浮かぶが、もう1つの意味として(研究などの)専門分野という意味がある。最近では、職業の「分野」にも使うとのこと(by杉田先生)。

|

« 高松宮杯 | トップページ | ビジ英・10月号の復習その3 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 生物観:

« 高松宮杯 | トップページ | ビジ英・10月号の復習その3 »